2015/03/31

嫁が投資資金を出すから再開すれば?。と言ったが、、、。

転職して投資金を借金返済にすべて投げ出したから
今は、細々とドル円で為替取引をしているくらいなんだけど

転職後の給与が低いので嫁が
「お金出すから投資再開すれば?。」と言った。
ちなみに
50万から100万位とのこと。

うーん。悩むなぁ。

1,投資金額は多いほどいいんだけど(笑 このお金リスクとったら
怒るやろ?。
2,再々、投資報告しないといけない?。
3,やってみたい気はある。(やっと職場に慣れたから考察する時間が出来てきた。)

実は、知り合いのお金持ちで投資している人には
「いつでも一千万位なら投資金として預けるよ。」と言われている。


どちらも(妻もお金持ちも)人のお金なんだよねぇ。(笑
(一応、妻のお金だから)

実績はある。少なくとも億には出来なかったが、300万円から数千万までにはした。
クローズしての実際の勝ち金での計算です。
(億のチャンスもあったけど、それは力不足だった。)
数々のショックを乗り越えた経験値はある。

自分のお金も貯めてからいつでも市場は待っているんだけど
時間のレバレッジが少なくなるしねぇ。

買いたい銘柄も少しはある。
目線は、今年の秋まで

うーん。ただねぇ。感情のコントロールには雑音は避けたいんだけど
その雑音がちょっとねぇ。
悩んでいる。

2015/03/02

歴史に学ぶ。(戦時状況下の日本の体制にみる現在との符合。)

投資に生きるか?。はわからないけど
知っているといいと思うから転記記録しておく。

まず、官僚支配による国のコントロールは駄目だということ。
ところが、消費税増税への経過を見ても
官僚支配が強くなっている日本なんですけど、、、、。
(為替や市場や金利をコントロール出来ると思い込んでいる節が
時々出ているよねぇ。日銀や財務省も)

原発事故で半狂乱になった菅元首相が、軍の最高指揮官になってはならない
転記
“先の大戦において日本が負けたのは、平時の組織を戦時に切り替えが出来なかったためであり、適材適所の配置が出来なかった。アメリカ軍の場合は戦時にはいったん全員が少将に格下げされて、担当部署によって中将や大将に任命された。だから作戦に失敗すれば少将に格下げが出来た。
日本なら南雲中将がミッドウェイ海戦で敗れたら、少将に格下げして司令官を外されるようなものだ。日本の会社では年功序列で部長が課長に格下げになるような事はめったにない。政治家も同じであり何回当選したかで序列が決まり5回当選すると大臣になれる。

10回当選すると総理大臣の候補となるようですが、平時ならそれでよくても、福島原発災害で半狂乱になった管直人元総理を見れば分かるように、非常時には冷静さを失わない優秀な総理でなければ取り返しにつかない事になる。

総理大臣や大会社の社長ともなると、どれだけ優秀な部下を抜擢するかで能力は左右されるだろう。大戦中の東条英機首相は本人は切れ者であっても優秀な部下がおらず、結局は自分一人に権限を集めましたが大組織はそれでは動かない。

現代でも、民主党は政権を取れば何でもできると考えていたようですが、民主党のマニフェストは多くが反故にされて実現できなかった。制度上は出来るはずなのに霞が関が動かない。原発災害でも霞が関はサボタージュして動かなかった。官僚たちは誰も東北の津波被災地や福島原発の現場に行こうとはしなかった。

経済産業省の原子力安全保安院の寺坂院長は「私はただの事務員」と言って仕事をさぼり、原子力安全保安院の職員は福島原発からみんな逃げてしまった。一人も現場に残るものはいなかった。だから経済産業省は現場の把握が出来なくなってしまった。日本のエリート社員は無能で臆病者が多いからだ。

大戦中でもエリート参謀は無能で卑怯者が多かった。源田実参謀は神風特攻を提案しながら、自分は戦後まで生き残り参議院議員となり天寿を全うした。辻政信参謀もそうだ。陸軍海軍のトップに人を見る目が無く、有能な人材は飛ばされてしまった。これでは勝てる戦争も負ける。”

日本はなぜ太平洋戦争に邁進したか?
転記
最近、シビリアン・コントロール(文民統制)という言葉をニュースで目にすることが多いです。日本でシビリアン・コントロールが最も激しく試されたケースは、やっぱり第二次世界大戦を置いて他にないでしょう

空母を中心に建艦のペースが早まるわけです。日本のドックは性能の良い最新式の艦船を建艦できましたが、大量生産の手法は最後まで学ばれませんでした。また物資素材が不足した場合、それを補いながら戦力を維持する方法も、まったく考案されませんでした。
アメリカからの石油がストップすれば、早く代替供給元を確保しない限り、1年くらいで海軍は動けなくなってしまうわけです。日本海軍が開戦の判断に慎重を期していた理由は、ここにあります。

なお、当時日本の海軍と陸軍との関係は、冷たいものでした。中国では揚陸作戦における抵抗は殆ど無かったため、陸海軍の共同の必要は殆どありませんでした。また陸軍と海軍ではカルチャーや、世界を見る目に大きな隔たりがあったと思います。

総括すれば、連合艦隊は、数の上でも、質の上でも、士気も面でも、さらに訓練という面でもアメリカ海軍を圧倒していました。しかし燃料確保の見通しに関しては、甘かったと言う他ありません。また開戦後の工場のアウトプットが日本だけ極めて低かったのは、「資源が無かったから」だけでは済まされないと思います。